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結婚までの徒然日記

幸せのゴール

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連載エッセイ

昨日大劇場に行ったついでに見てきました。
第一期生で1914初舞台の坪内逍遥の息子(坪内士行)の妻になった雲井浪子(女優、坪内ミキ子の母)に始まり、1974年初舞台の大浦みずき、遥くららに至るまでのスターが紹介されている。誰が入ってて誰が入ってないか、というのもなかなか面白く、遥くららが入っててどうして北原千琴が漏れてるの、とか、大浦みずきが入ってて剣幸が入ってないのは?とか、初風詢が入ってるのに同じくマリー・アントワネット役者だった上原まりが入ってないのは?とか、あったりするけど、この三人は入れておいてほしかったな、という人を挙げておく。

 まず、園井恵子 戦前の男役スターで、卒業して女優転向の後、阪東妻三郎主演の「無法松の一生」で吉岡未亡人を好演。新劇女優としても活躍したが、移動演劇集団「さくら隊」の一員として訪れた広島で原爆に遭遇。西宮まで帰り着いたが原爆症で死去。

 つづいて糸井しだれ 同じく戦前の娘役スターで歌手としても活躍。まだ日本で封切られていなかった「オズの魔法使い」のテーマ「虹の彼方に」を「谷間の吊り橋」と改題して歌った音源などが残る。結婚のため卒業したのち、仲人に挨拶に行った三重県津市で空襲に合い、戦災死。

 このお二人は戦争と宝塚を語る上では外せない。

今一人は岸香織 高度成長期の始まりの頃に初舞台。脇役として活躍し、雪組組長から専科スターとして活躍、定年まで在団し、1999年に卒業。その後も演目選定委員など劇団運営に関与。男役も女役もこなすベテランスターだったが、彼女の功績はそれ以上に『歌劇』誌に、1965年頃から卒業まで35年ほどにも亘り、「聞いて頂戴こんな話」と題した楽屋エッセイを連載し続けたこと。現役生や卒業生のおかしく楽しい話題を中心に、稀にはOGの訃報などまで幅広いニュースを織り込んだエッセイは宝塚愛に満ちあふれ、多くのファンとスターを結びつける担い手となっていた。まだインターネットやプログなどというものが気配もになかった時代から、宝塚の公式ブログ的役割を蜷いただけたのがこの連載エッセイだったわけで、それだけでも十分殿堂入りの価値があると思うのだがどうだろう。

 大路三千緒さんや沖ゆき子さんなど、組長・専科で活躍した方々も入っていたのが嬉しかっただけに、キッシャンも入れてほしかった。
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